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東京地方裁判所 昭和32年(ヨ)1893号 判決

債権者 株式会社ライトインキ

債務者 ライトインキ株式会社

主文

一  債権者が金五十万円の保証を立てることを条件として、次のように定める。

(一)  債務者は別紙目録記載の標章を使用してはならない。

(二)  右標章を附したインキ、インキ消及び糊に対する債務者の占有を解き、債権者の委任する大阪地方裁判所執行吏に保管を命ずる。ただし、執行吏は、債務者の申出があるときは、右標章の抹消を許したうえ、右製品の保管を解かなければならない。

二  訴訟費用は、債務者の負担とする。

事実

第一債権者の主張

(申立)

債権者訴訟代理人は、主文第一項と同趣旨(ただし、保証の点を除く。)の判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

(理由)

一  債権者は、昭和三十一年四月二十四日、各種インキ及びその原料の製造販売、一般文具類、糊類、顔料、塗料等の製造販売を目的として設立された会社であるが、昭和三十一年八月二十日、篠崎インキ製造株式会社(以下篠崎インキという。)から、同会社の権利に属する別紙目録記載の商標権(以下本件商標権という。)及びその他の商標権を、営業すなわち、右商標を使用する商品の製造販売権、老舗権等とともに、譲り受け、これについては、篠崎インキの同年七月十九日開催の取締役会及び同年八月六日開催の株主総会における特別決議を経た。

二  しかるに、本件商標権は、昭和三十一年五月二十日、篠崎インキから債務者に譲渡され、同月二十九日、その移転登録手続がされたが、右譲渡契約は、次の理由により無効である。

(一) 篠崎インキは、大正九年八月十三日設立され、主として「ライト」の商標を使用するインキ、糊、その他の文具類の製造販売を目的とする会社であるが、昭和二十六、七年頃から経営不振におちいり、再建のため、昭和二十八年七月一日、第二会社として、ライト化学工業株式会社(以下ライト化学という。)を設立し、右篠崎インキの建物、その他の設備を賃貸して、インキの製造販売を営んだが、その業績振わず、昭和三十一年三月、篠崎インキの税金滞納処分により、右賃貸物件全部が公売されるに及んで、遂に、ライト化学も整理のやむなきに至つた。しかるところ、債務者は、田辺信一が、篠崎インキの代表取締役の地位を辞任したにもかかわらず、たまたま、登記簿が、その旨変更されていないのを奇貨とし、篠崎インキの従業員の一部をそそのかして、田辺信一及び右一部従業員等と相図り、昭和三十一年五月二十日附で、篠崎インキから債務者に、本件商標権を譲渡する旨の契約を締結した。しかしながら、右譲渡行為は、債務者及び田辺信一等の虚偽の意思表示に基くものであるから、無効である。

(二) 仮りに、右主張が理由がないとしても、商標権は、営業とともに譲渡しなければならないものであるところ、本件商標権に附随する営業は、篠崎インキの営業の重要な一部であるから、その譲渡については、商法第二百四十五条の規定により、株主総会の特別決議を経ることを要するにかかわらず、債務者は、その手続をふむことなく、篠崎インキの本件商標に随伴する営業の譲渡を受けたもので、右営業譲渡行為は無効であり、したがつて、商標権の譲渡も無効である。

なお、篠崎インキは、債務者が、本件商標権を譲り受けたと称する昭和三十一年五月二十日当時、前記のような事情で、その物的資産は全部公売されて存在しなかつたが、本件商標に伴なういわゆるノレン、債務及び顧客等重大な無形資産を有し、これらが、篠崎インキの営業と目されるものであり、これは、同会社の全営業の約九十パーセントを占め、これを譲渡してしまえば、篠崎インキの営業は、ほとんど存在しないといつても過言でない程重要なものである。

三  しかして、商標権は登録によつて発生し、その移転の対抗力については、商標法第二十四条の規定により特許法第四十五条の規定が準用されるが、同条は「特許権の移転……は登録を受くるに非ざればこれを以て第三者に対抗することを得ず」と規定し、右登録の対抗力については、不動産登記の対抗力と同一の理論をもつて解釈すべきであるから、右法条にいう第三者とは、正当な取引関係にたつ第三者、もしくは、登録の欠缺を主張することについて、正当な利益を有する第三者を指称し、それ以外の第三者に対しては、登録なくして対抗することができるものと解すべきである。

これを本件についてみるに、債務者は、本件商標権について、その移転登録手続を経てはいるが、その登録原因は前記の理由により無効であり、一方、債権者は、有効に本件商標権を譲り受けたものであるから、その登録手続を完了していなくとも、債務者に対抗しうるものである。

しかるに、債務者は、本件標章を、インキ等の商品に附して製品を製造販売しているが、右標章を使用することは、債権者の権利を侵害するものであるから、債権者は債務者に対して、その侵害を排除すべく、これが使用の禁止を求める権利を有する。

四(一)  篠崎インキは、その製品ライトインキ(本件標章を附した製品)を、明治時代より製造販売し、インク業界における最古の老舗として、全国に市場を有して名声を博していたところ、債権者は、右標章とその全国的な市場を中心とする経営に当るため設立された会社で、篠崎インキより右営業の譲渡を受け、営業方針を立て、設備を整え、篠崎インキの従来の営業成績から、事業目論見書を立案して、資金の導入その他を計画した。しかるに、本件商標権が債務者に登録されていることから、常に右事業計画の遂行に支障をきたし、資本の導入も十分にできず、債権者の既設の物的設備は、そのまま放置され、技術者その他の従業員も無為に過し、投下資本の回収もできず、甚大な損害を蒙つている。

(二)  また、債権者が譲渡を受けた営業中、ライトの商標を附した製品の市場は、債務者に蚕食され、債務者の売上高は最近急増し、あまつさえ、債務者は、債権者を相手方として横浜地方裁判所に対し、債権者の本件商章使用禁止の仮処分を申請し、(同庁昭和三十二年(ヨ)第六〇六号事件)同裁判所が審尋の機会も与えることなく、右申請を認容する趣旨の仮処分命令を発してからは、違法に商標権を取得した債務者において、堂堂、事業を独占して多大の収益を得ているのに反し、債権者は正当に権利を取得しながら、営業をすることができず、本件標章を附した製品の販路は、債務者に荒される結果となり、回復不能の損害を蒙るおそれがある。

五  よつて、債権者は債務者等を相手取り、本件商標権に基いて、篠崎インキと債務者間の本件商標権の移転登録の抹消を求め、(右篠崎インキに対しその移転登録を求める。)かつ、債務者に対し本件標章使用禁止を求めるべく、東京地方裁判所に右本案訴訟を提起したが、いま直ちに、必要な保全措置を講じておかなければ債権者は回復できない損害を蒙るおそれがあるので、これを避けるため本件仮処分申請に及んだものである。

六  債務者主張の四の事実は争う。

仮りに、本件商標権に伴なり営業の譲渡が、債務者主張の取締役会の決議を経るのみで足りるとしても、右取締役会は次の理由で存在しない。そうでないとしても、その手続にはかしがあるから、有効でない。すなわち、

(い) 債務者主張の篠崎インキの取締役会は、田辺信一がこれを招集したものであるが、同人は、昭和三十一年一月二十四日、篠崎インキの代表取締役の地位を辞し、同年二月十日の株主総会において、新らたに取締役として、篠崎譲一、小野寺正行、中尾治及び福田勝治の四名が選任され、福岡を除くその余の三名がその就任を承認し、同日の取締役会において、右篠崎が代表取締役に選任された。しかし、同年五月二十日現在、前記取締役等の変更登記手続がされていなかつたため、登記簿上は、田辺が代表取締役と記載されていたにすぎない。

よつて、実質的に代表権限を有しない田辺信一が招集した取締役会は存在しないものといわざるをえない。

(ろ) 仮りに、前記田辺が招集権を有したとしても、その招集通知を受けたのは、小野寺正行のみであり、その余の取締役は通知を受けていないから違法である。

七  債務者主張の五の事実は争う。

(い) 商標の使用契約は、法律の認めるところでないから債務者主張の本件商標使用契約は法律上無効である。

(ろ) 仮りに、右契約が有効であるとしても、債務者と篠崎インキとの本件商標使用契約は、右当事者間においてのみ有効であり、篠崎インキから昭和三十一年八月二十日本件商標権を譲り受けた債権者には対抗しえないものである。

第二債務者の主張

(申立)

債務者訴訟代理人は、債権者の申請を却下する旨の判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

(理由)

一  債権者主張の一の事実は知らない。

二  債権者主張の二の事実中債務者が債権者主張日時、篠崎インキから本件商標権を譲り受け、その移転登録手続を了したこと、篠崎インキが、昭和二十六、七年頃から経営不振におちいり、昭和二十八年七月一日、第二会社として、ライト化学が設立されたこと及び昭和三十一年三月、篠崎インキの税金滞納処分のため、同会社所有の工場等物的設備が公売されたことは認めるが、その余の事実は争う。

篠崎インキは、前記公売により物的設備を失い、右設備を賃借していたライト化学とともに経営不能におちいつたが、篠崎譲一は、前記会社が従業員に支払うべき給与等合計金二百三十九万七千九百九十円の支払について、昭和三十一年二月十六日、個人として右会社債務の支払を誓約し、併せて、万一、同年二月二十九日までに右金員を支払わないときは、同人の篠崎インキに対する株式四万三千株を、従業員代表に譲渡する旨約したが、同人は、いずれの約束をも履行しなかつたため、従業員代表は、篠崎インキの代表取締役田辺信一から、前記債務の代物弁済として、本件商標権を譲り受けた。しかして、債務者は、昭和十六年三月設立当初から、篠崎インキとの契約により同会社の製品を販売してきた関係上、篠崎インキ及びライト化学両会社の懇請により、同年四月以降右会社の従業員全部を雇い資本金も五百万円に増資したうえ、東京都内に工場を設置し、営業規模を拡張経営したのであるが、これと同時に、本件商標権を、前記従業員組合から譲り受けたものであり、ただ、その登録手続については、名義書換の関係上、中間省略の方法により、篠崎インキから債務者が直接譲り受けた旨の契約をしたものである。したがつて、本件商標権の譲り受けは真実になされたものである。

三  債権者主張の三の事実中、債務者が篠崎インキの株主総会における特別決議を経ないで、本件商標を譲り受けたことは認めるが、その余の事実は争う。

(い) 篠崎インキには営業が存在しなかつたから、本件商標権は営業とともに譲り受ける必要がなく、債務者は本件商標権のみを譲り受けたものである。すなわち、篠崎インキは債務者に対し昭和三十年十二月二十六日から向う二十年間、関西全域にわたり本件商標の実施権及び指定商品の製造販売権を与え、更に、昭和三十一年二月二十八日附追加契約書により関東全域にまで前記契約の趣旨を拡張して、みずからその営業をせず、かつ、昭和二十八年七月一日以降ライト化学に、その営業を承継させたが、昭和三十一年三月十三日公売処分による物的設備を失うに至り、少くとも、昭和三十一年三月十三日以降、篠崎インキの営業は主観的にも客観的にも存在しなくなつた。

(ろ) 仮りに、篠崎インキに営業があるとしても、本件商標権に附随するものは、右会社の全営業の単なる一部であり、重要な部分ではない。

よつて、本件においては、株主総会の特別決議を経る必要がない。

四  本件商標権の譲り受けは、篠崎インキの取締役会の決議を経るのみで足りるから、債務者は右会社の昭和三十一年五月二十日開催の取締役会の決議を経て、本件商標権の譲渡を受けたものである。

五  仮りに、債務者の本件商標権取得が法律上無効であるとしても、前記三のい記載のとおり、債務者は本件商標の使用権を有する。

六  以上の次第で、債務者は、本件商標権、もしくは、その使用権を適法に取得しているから、その登録のない債権者は本件商標権の取得を債務者に対抗しえない。

七  債権者主張の四の事実中、近時、債務者において、関東及び関西におけるライト製品の市場を確保し、営業成績が高上してきていることは認めるが、その余の事実は争う。

債権者は、本件商標権が債務者のために登録され、しかも、債務者が全国的にライトインキの製造販売及び商標の使用権を取得して経営している事実を知りながら、会社を設立し、篠崎インキから本件商標権を、譲渡代金は商標権の登録完了後二年目から売上金の二分ずつを支払う約で譲り受けたのであるから、たとえ、その登録が債務者に存することにより、事業の遂行に支障をきたすとしても、これは債権者として設立当初から予想しえたところであり、債権者の本件仮処分申請は債務者の営業を妨害せんとする意図に基くものに他ならない。

債務者は最近、関東及び関西におけるライトインキの販路を確保するに至つてきたから、万一、本件仮処分が発せられるときは、回復しえない損害を蒙るほか、現在雇傭せる従業員四十三名が失業し、扶養家族を含めた百五十名余の生活が危殆に瀕することとなる。第三疏明関係

(債権者の疏明等)

債権者訴訟代理人は、甲第一号証から第十九号証、第二十号証の一から三、第二十一、第二十二号証、第二十三、第二十四号証の各一、二及び第二十五号証の一から九を提出し、第二十五号証の一から九は、昭和三十三年三月二十八日撮影にかかる債権者の工場の写真であると述べ、証人篠崎譲一及び福岡勝治の各証言並びに債権者代表者本人尋問の結果を援用し、乙第一号証から第三号証、第八号証の三及び第九号証の成立は認める、第十九号証の一、二が債務者主張日時撮影にかかる債権者工場の写真であることは争う。その余の乙号各証の成立は、いずれも知らない、と述べた。

(債務者の疏明等)

債務者訴訟代理人は、乙第一号証から第三号証、第四号証の一から七、第五、第六号証、第七号証の一から十五、第八号証の一から五、第九号証から第十八号証及び第十九号証の一、二を提出し、第十九号証の一、二は、昭和三十二年十月初旬撮影にかかる債権者の工場の写真であると述べ、証人中村松一の証言及び債務者代表者本人尋問の結果を援用し、甲第一号証、第八号証、第十一号証第十八号証、第二十一号証及び第二十二号証の成立は、いずれも認める。第二十号証、第二十三号証及び第二十四号証の各二の官署作成部分の成立は認めるが、その余の成立は知らない。第二十五号証の一から九が債権者主張のような写真であることは知らない。その余の甲号各証の成立は、いずれも知らない、と述べた。

理由

(当事者間に争いのない事実)

一  篠崎インキが、昭和二十六、七年頃から経営不振におちいり、昭和二十八年七月一日、いわゆる第二会社としてライト化学を設立したこと、篠崎インキ所有の工場等の物的設備が昭和三十一年三月同会社の税金滞納処分により公売されたこと、債務者が篠崎インキの株主総会における特別決議を経ることなく、同会社の権利に属する本件商標権を、昭和三十一年五月二十日譲り受け、同月二十九日、その移転登録手続を了したこと、債務者が本件標章を附して指定商品の製造販売をしていること及び債務者が近時右商品の販路を獲得し、営業成績も上昇してきたことは、当事者間に争いのないところである。

(債権者の商標権取得の主張について)

二 証人篠崎譲一の証言及び債権者代表者本人尋問の結果及びこれらによりその成立を認めうる甲第二号証から第五号証、証人福岡勝治の証言によりその成立を認めうる甲第十五号証を綜合すると、

(一)  債権者はインキ等の製造販売を目的として、昭和三十一年四月二十四日設立されたものであるが、同年八月二十日、本件商標権をその権利者である篠崎インキから(ただし、登録名義が当時債務者にあつたことは後段説示のとおり)、その他の商標権及び同会社の営業(本件標章を使用する商品の製造販売権等)とともに代金五百万円で譲り受け、その代金は、債権者において登録手続完了後二年目から、毎月販売額の二分ずつを分割して支払う約定であつたこと、

(二)  本件商標に附随する営業の譲渡については、これが篠崎インキの営業の重要な部分であるとして、同年七月十九日開催の右会社取締役会及び同年八月六日開催の臨時株主総会における特別決議を経たこと、

を一応認めることができ、これを左右するに足りる資料はない。

(虚偽表示の主張について)

三 債権者は、債務者が篠崎インキとの間にした本件商標権の譲渡契約は、虚偽の意思表示である旨主張するが、債権者の全立証をもつてしても、これを肯認するに足りる資料はない。

かえつて、成立に争いのない甲第八号証、乙第一、二号証、証人中村松一の証言及び債務者代表者本人尋問の結果によりその成立を認めうる乙第六号証、第七号証の一及び四から十五、第八号証の一、から五、証人中村松一、福岡勝治の各証言並びに債務者代表者本人尋問の結果に前顕争いのない事実を綜合すれば、

(い)  篠崎インキー篠崎インキ製造株式会社は大正九年八月十三日設立され、昭和二十八年一月十六日その商号をライトインキ株式会社に変更し、更に昭和三十一年二月十日篠崎インキ製造株式会社に変更したーは、昭和三十一年三月十三日頃、税金滞納処分により、その所有に属する社屋、工場、機械及び器具等一切の工場設備が公売され、右設備を賃借していたライト化学とともに、多額の借入金買掛金及び従業員三十数名に対する未払給料等の債務を残して倒産のやむなきに至つた。

(ろ)  これより先、会社債権者及び従業員等は、篠崎インキに残る資産が本件商標権以外にみるべきもののないところから、その権利の獲得を競い、その手続として篠崎譲一の同会社株式を取得することが先決問題であるとし、各々が、右篠崎に対し株式譲渡方を要求した結果、篠崎譲一は、同年二月二十九日、従業員等に対し、同人が個人として前記給料等の支払をすべく、万一、これを履行しないときは、篠崎インキの自己名義の株式四万三千株を従業員等に譲渡することを約したが、篠崎は、前記会社債権者等に対しても右株式の譲渡を約していた関係で、従業員等に対し前記いずれの約束をも履行しなかつたこと。

(は)  ここにおいて、従業員等は、自己の生活の危機を救うには、当時、関西方面において、ライトインキの販売権を持つ債務者-債務者は、昭和十六年三月篠崎インキ西部販売株式会社として設立され、商号を、昭和十八年五月二十二日大阪篠崎株式会社、昭和三十年十月二十五日大阪ライトインキ株式会社、更に昭和三十二年五月二十八日ライトインキ株式会社とそれぞれ変更した。-に頼るより他に道がないとして、債務者と雇傭契約を締結し、篠崎インキの代表取締役であつた田辺信一から前記給料債権者等の代物弁済として、本件商標権を譲り受けたうえ、昭和三十一年五月二十日、これを金二百六十万円で、債務者に譲渡し、その登録手続は、田辺信一、従業員代表中村松一及び債務者等が協議のうえ、中間省略の方法により、篠崎インキから債務者に直接登録することとし、同月二十九日右登録手続を完了したこと、

を一応推認することができる。したがつて、前記商標権の譲渡は、それが有効かどうかは別として、真実にされたものというべく、これをもつて虚偽表示であるとする債権者の主張は採用できない。

(債権者の商標権取得の効力について)

四 よつて、債務者の本件商標権の取得が有効かどうかについて考察するに、この点については、まず、篠崎インキには本件商標権に附随する営業に存するがどうかが重要な問題の一つともなる。前顕甲第十五号証、証人篠崎譲一の証言によりその成立を認めうる甲第十六号証、債務者代表者本人尋問の結果によりその成立を認めうる乙第四号証の一から五及び証人福岡勝治、篠崎譲一の各証言並びに債権者代表者本人尋問の結果に前顕争いのない事実を綜合すると、

(一)  本件商標は、篠崎インキ設立以前、篠崎又兵衛が個人として営業していた頃より使用されてきたものであるが、同会社がその権利を承継してからは、その商標を附した製品「ライトインキ」の宣伝につとめた結果、右商品は、わが国文房具界において著名となり、同会社における右商品の販売高も全体の約九十パーセントを占めるに至り、経営内容も充実して、インキの老舗として、名実ともに東洋一を誇る盛大な営業を続けてきたこと、

(二)  しかるに、右会社は昭和二十七年十月頃、手形の不渡を続出し、東京国税局から税金滞納のため、会社所有の全資産が差し押えられ、昭和三十一年三月頃、遂に右差押物件全部が公売されるに至つたこと、

(三)  篠崎インキは再建策として、昭和二十八年七月一日、第二会社ライト化学を設立し、(篠崎譲一が代表取締役)以来、篠崎インキの営業を休止して同会社所有の物的設備を右ライト化学に賃貸し、同会社において営業をすることとしたが、本件商標権は、篠崎インキの権利に留めていたこと、

(四)  篠崎インキは、営業不振となるや、昭和三十年三月三十一日、従前から関西地域における販売権を有していた債務者に対し、期限を同年十二月三十一日まで、地域を関西以西と定めて、篠崎インキの技術指導のもとに、書記用インキ類の製造販売及びその製品に本件商標を使用することを許諾し、更に、同年十二月二十六日、右契約期間を、昭和五十年十二月三十一日まで延長し、かつ、昭和三十一年二月二十八日、前記契約を関東地域にまで拡張する契約を締結し、(ただし、関東地域については、篠崎インキが同地域に製品を十分供給できる状態になるまでとする。)前記商品の製造販売は、実質的に債務者においてすることとなつたこと、

(五)  篠崎インキは、原材料の買掛代金、得意先からの借入金及び従業員等の給料等多額の負債を有していたこと、

(六)  篠崎インキにおけるライトインキの製造販売額は、戦後においても全営業の九十パーセントを下らなかつたこと、

等の事実を一応認めることができ、これを左右するに足りる資料はない。

しかして、右説示の事実によれば、篠崎インキは、債務者が本件商標権を取得したと称する昭和三十一年五月二十日当時、その物的資産がすべて公売されてなくなり、現実の営業も第二会社ライト化学に委ね、かつ、日本全域にわたり、ライトの商標を使用する商品の製造販売権を債務者に与えるなどして、有形かつ現実的な営業はしていなかつたにしても、本件商標権及びこれに伴なるいわゆるのれん、技術、負債等無形かつ潜在的な営業は、いまだ篠崎インキに存し、これらの営業までも前記各契約により債務者に与え、あるいはライト化学に承継させたものと解することはできない。

しかして、商標法第十二条にいう商標権に附随する営業とは、商標の使用によつて形成された物的設備のみならず、商標の指定商品に関する潜在的な営業、すなわち、のれん、技術、得意等の無形的なものをも指称するものと解すべきところ、本件における篠崎インキの営業も潜在的には存在していたこと叙上のとおりであるから本件商標権の譲渡については、これらの営業とともにしなければならないものといわなければならない。

しかるに、債務者が本件商標権を営業とともに譲り受けなかつたことは債務者のみずから認めるところであるから、右商標権の取得は、商標法第十二条の規定に違反し無効である。

のみならず、債務者が営業とともに本件商標権を譲り受けたとしても、篠崎インキの本件商標権に伴なう営業は、全営業の少くとも九十パーセントを占めること前段説示のとおりであるから、その譲渡について、商法第二百四十五条の規定により株主総会の特別決議を経ることを要すべきところ、その手続を経なかつたこと前説示のとおりであるから、前記営業譲渡契約は無効といわざるをえない。したがつて、債務者の本件商標権の譲受けは、営業の譲受けを伴わないことに帰し、これまた、無効である。

はたしてしからば、債務者がした本件商標権に対する登録は、その原因を欠くもので無効というべく、債務者は、右商標権の取得を主張しえないものである。

しかして、債務者が、本件標章を使用していることは、前掲のとおり、争いのないところであるから、債権者は債務者に対し、本件商標の専用権に基いて、その使用を差し止める権利を有するものといわなければならない。

(債務者の商標使用権の主張について)

五 しかるに、債務者は、本件商標の使用権を有する旨抗争し、債務者が、おそくとも昭和三十一年二月二十八日以降、篠崎インキから日本全域にわたつて、本件商標の使用権を契約により与えられていたことは、既に説示したところによつて明らかである。

しかしながら、商標権は、その権利者において指定商品について専用するところであり、その権利の譲渡は、営業とともにする場合にのみ移転しうることは、商標法第七条、第十二条の規定するところであり、その法意は、商標は、特定人の営業にかかる商品であることをあらわすために必要なものであるところから、登録によつて、商標権者の営業上の信用を保護し、不正競争を防止し、かつ、一般取引者の不測の損害を予防せんとするにあるものと解せられるから、商標権と分離して、その使用権のみを処分し、商標権者でない者をして、その者の営業にかかる商品に商標権者専用の商標を使用させることは、商標法の精神に背くものであり、無効と解するを相当とする。

したがつて債務者が、本件商標の使用権を有する旨の主張は法が保護しない事実を基礎とするものであり、到底採用できない。

(必要性)

六 よつて更に進んで、本件仮処分の必要性について考察するに、成立に争いのない甲第十八号証、債権者代表者本人尋問の結果によりその成立を認めうる甲第九号証、第十七号証及び第二十四号証の一、二(ただし、第二十四号証の二は郵便官署作成部分の成立は争いがない)並びに債権者代表者本人尋問の結果を綜合すれば、

(い)  債権者及び債務者は、本件商標を使用してインキ類の製造販売をしているところ、債権者は昭和三十一年四月二十四日設立されたばかりで、同年六月頃から、営業が漸く軌道に乗り始めたのに比し、債務者は、古くから本件商標を附した製品を販売し、あまつさえ、前段説示のように、昭和三十年からその製造をもしていた関係で、相当の販路を持ち、昭和三十一年五月二十日以降は、本件商標権の登録手続をし、顧客等に対し、自己が真実の権利者であると宣伝しているため、顧客は本件商標を附したインキ類について、真の権利者がいずれであるか戸惑いし、かつ、商品の出所が誤認混同され、債権者の篠崎インキから承継した右商品の販路は債務者に侵蝕されて著しい損害を蒙るおそれがあること、(債務者が債権者を相手方とした横浜地方裁判所昭和三十二年(ヨ)第六〇六号商標使用禁止仮処分決定が、昭和三十二年十月二十二日発せられてからは債務者は、販路を独占していること)

(ろ)  債権者は、昭和三十一年四月六日篠崎インキの設備を競落した者から、その物件を買受け、不足の什器器具等は別途に買い整え、資金面においても横浜興信銀行から約金百万円、株式会社千葉銀行から約金百五十万円を借り受けているが、債務者が本件商標を使用しているため、その資本の回収に難渋していること、

等が推認され、これを左右するに足りる資料はない。したがつて債権者は、本案判決をまつていては回復し難い損害を蒙るおそれがあるものということができる。

もつとも、証人中村松一の証言及び債務者代表者本人尋問の結果によれば、債務者において、本件仮処分命令を受くるときは、相当の打撃をうけることが推認できるけれども、債務者において、債権者の権利を侵害しているものといわざるをえない以上、その程度の損害は、債務者として当然受認しなければならない範囲に属するものというべく、債務者の蒙るべき損害がその範囲を著しく超えるものであることについて明確な疏明資料のない本件においては、これをもつて本件仮処分の申請を理由がないものとすることはできない。

(むすび)

七 以上説示した事実関係のもとにおいては、債権者の前記被保全権利を保全し、その蒙る著しい損害をさけるため、必要な措置として、主文第一項掲記のような仮処分を命ずるものを相当とするものと認める。

よつて、債権者において債務者のため金五十万円の保証を立てることを条件として主文掲記の仮処分を命ずることとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 篠原弘志 鳥居光子)

目録

商標登録番号  名称      指定商品類別

五二、九九六  ライト     五十一類

五二、九九七   〃        〃

五二、九九八   〃        〃

二一七、七三三   〃        〃

二八六、五一九   〃        〃

三一三、〇五〇   〃        〃

三一五、六三〇   〃        〃

三一七、五八五   〃        〃

三三〇、一五九   〃        〃

三九一、三七六  ライト     五十一類

三九一、三七七   〃        〃

三九一、三七八   〃        〃

三九三、〇八九   〃        〃

四二三、三一八 ライトユートピアゾル 〃

二三四、五九五 サンライト      〃

四一一、四四五 ユニオン       〃

三七九、二四八 ユートピアゾル    〃

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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